吉原遊郭の歴史から学ぶソープの原型

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吉原遊廓という場所

歴史と共に

遊女のピラミッドの頂点が、大夫、後に花魁と呼ばれる存在でした。
大夫や花魁という名前は、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

花魁道中などはとても華やかな印象ですが、一方でやはり有名人、スターとなれば、地位を維持することが大変だったようです。
花魁はその装身具や化粧品ももちろん、生活費は全部、自己負担でした。
また妹分たちの面倒も、みなければなりませんでした。
男性客からたくさん貢いでもらっても、掛かる費用も膨大だったようです

そのような光と影もある世界、吉原遊郭は明治の時代に入ると、少しずつ規模が縮小されて行きます。
それまでは、政界や財界の社交場として中心的な存在でしたが、それがだんだんと花街に持っていかれてしまうのです。

そして明治32年、売春防止法が施行され、吉原遊郭は歴史を閉じることになりました。

ソープの原型

そうして吉原遊郭は幕を閉じ、一部は後にソープの店舗となって行きます。
今でも吉原では道がS字カーブになっていて、隣のお店の入口が見えないようになっているそうです。
遊廓時代の名残ですね。

他方で、吉原遊廓の遊女の髷や衣装などは、当時の江戸のファッションをリードする存在でした。
当時は農村部の女性が遊女にならなかったら、着られなかったような着物だったようです。

また遊廓で起きた男女の物語は、歌舞伎や浄瑠璃などの芸能に題材として取り上げられ、江戸中で大ヒットだったようです。
出会いと別れ、心中など、普遍的なテーマがいくつもあったことでしょう。

ソープの原型、吉原遊郭は、いわゆる風俗営業の面だけでなく、娯楽文化の発信地としても大きな存在だったと言えそうです。


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