吉原遊郭の歴史から学ぶソープの原型

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遊女と暮らし

農村部から

吉原遊郭の遊女たちは、元々どこからやってきたのでしょうか。
多くは農村部から、幼いうちに売られて来ました。

明らかに人身売買なのですが、当時の幕府も人身売買は表向きで禁止していました。
そこで人身売買でなく、奉公人という言葉が使われていました。

もちろん奉公と言っても家回りの手伝いが中心でなく、実態は売春行為です。
遊女たちは借金を背負わされた形で遊廓に入れられ、ある決められた年齢になるか、その借金が帳消しになるまで働かせられました。

遊女たちは、不衛生な環境で集団生活を余儀なくされます。
避妊もろくにしないので当たり前のように性病にかかり、時には無理な中絶で身体を壊すこともありました。
決められた年齢になったり、借金が帳消しになる頃には、もうほとんどの遊女が身体的にも精神的にもボロボロだったそうです。

一生出られないことも

文献データとして残っている限りでは、ほとんどの遊女が一定の年齢になるか借金が終わるなどして、遊廓から解放されるとなっているようです。
ですが実際は、解放の段階の前に身体を壊すなどして吉原遊廓を人知れず追い出され、データとしてカウントしてないのではないか、という説もあります。

辛うじて身体が壊れるまでいかなかった遊女も、ボロボロではあるのでなかなか借金を返しきることが出来ないこともあります。
そうした場合は、年齢が高くなってもずっと遊女を続けざるを得なかったり、あるいは遊廓の下働きに異動させられることもあったようです。
つまり、入ったら一生、遊廓から出られなかったわけです。

吉原遊郭の前には川が流れていて、跳ね橋が架けられていたそうです。
夜が明けて、男性客が帰ると、橋を跳ね上げて遊女が逃げられないようにしていたそうです。


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